【小説完全版】帰る場所~みなと釣り具店~ 〈第四章〉

 

 

⚠️読んでもらう前に…

『帰る場所〜みなと釣具店〜』は、
小説版を原作として漫画化しています。

漫画では読みやすさやテンポを大切にするため、
タダシとおっちゃんの会話や出来事などを加え、
小説とは一部内容や展開を変えています。

そのため、小説と漫画はまったく同じ内容ではありません。

小説では物語の背景や登場人物の心情をより深く。
漫画ではタダシとおっちゃんのやり取りや表情を楽しめるように。

同じ物語ですが、
それぞれ違った『帰る場所』として楽しんでいただけたら嬉しいです。

帰る場所

第四話 タダ飯じゃねぇぞ

 

 

かしわにぎりを三つ食べ終えたあとも、タダシの腹の中には温かいものが残っていた。

腹がいっぱいになったからだろうか。

 

それとも、久しぶりに誰かから「食え」と言ってもらえたからだろうか。

自分でもよく分からなかった。

ただ——

なんだか今日は、このまま眠るのがもったいない気がした。

 

タダシは自分の服の袖をつまんだ。

 

「…………。」

 

三日間、ほとんど同じ服で過ごしている。

 

汗もかいた。

公園のベンチでも寝た。

恐る恐る、自分の服の匂いを嗅いでみる。

 

「…………臭っさ!!」

 

思わず顔を背けた。

 

「俺、こんな臭かったのかよ……。」

 

昼間、おっちゃんと結構近くで話していたことを思い出す。

 

 

「……何も言わなかったな。」

あの口の悪いおっちゃんなら、

『くせぇぞ、お前』

くらい言いそうなのに。

言わなかった。

 

それが逆に恥ずかしくなった。

 

「洗お。」

 

タダシは段ボール箱から着替えを取り出した。

 

     *

 

町のコインランドリー。

 

ぐるぐると回る洗濯物を、タダシは椅子に座って眺めていた。

 

財布を開く。

金は減った。

洗濯代。

乾燥代。

 

本当は一円だって使いたくなかった。

 

けれど、不思議と今日は惜しいと思わなかった。

――明日、仕事探すんだしな。

せめて綺麗な格好をしていこう。

洗濯物が回るのを眺めながら、ふとさっきのかしわにぎりを思い出した。

 

「……うまかったな。」

 

もう一度食べたい。

 

そんなことを考えたら、また腹が減りそうになった。

 

「いや、三個食っただろ。」

自分に言い聞かせる。

洗濯が終わると、次にタダシが向かったのは銭湯だった。

 

     *

 

「はぁぁぁぁ……。」

湯船に肩まで浸かる。

 

身体の奥から、勝手に声が出た。

「……幸せだぁ。」

天井を見上げる。

たった三日前までは、風呂に入ることなんて当たり前だった。

飯を食うことも。

布団で寝ることも。

洗濯された服を着ることも。

全部、普通だった。

でも今は。

 

温かい湯に浸かれるだけで、こんなに幸せだ。

 

「…………。」

 

タダシは両手で湯をすくい、顔を洗った。

 

明日はまた仕事を探そう。

今日ダメだったからって、明日もダメとは限らない。

 

なんとかなる。

いや。

なんとかする。

 

風呂から上がると、洗ったばかりの服に袖を通した。

石鹸の匂いがした。

「よし。」

久しぶりに少しだけ、自分がまともな人間に戻ったような気がした。

 

     *

 

その夜。

タダシはいつもの公園へ戻った。

寝る場所は昨日と同じベンチ。

 

枕は段ボール箱。

何も変わっていない。

それでも不思議だった。

 

昨日より、ずっとよく眠れた。

腹がいっぱいだったからか。

身体が温まっていたからか。

 

それとも——

 

あのおっちゃんのせいか。

 

タダシは考える前に眠りに落ちた。

 

     *

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翌朝。

「おい。」

「…………。」

「おい。」

 

 

「…………ん。」

 

誰かの声がする。

 

「起きろ。」

「んん……。」

「おい!!!」

タダシはゆっくり目を開けた。

 

目の前いっぱいに、

男の顔。

「…………。」

「…………。」

「うわぁぁっ!!」

タダシは勢いよく飛び起きた。

 

「びっくりした!!」

 

男は眉をひそめる。

 

「朝っぱらからうるせぇな。」

 

「おっちゃん!!」

タダシは胸を押さえた。

 

「頼むから、そーゆーのやめてくれよぉ!」

「なんだよ。」

「心臓に良くないぜー!」

「大げさな奴だな。」

「昨日も言っただろ!気配なく近づくなって!」

「知るか。」

「知っとけよ!」

 

男は相変わらずだった。

くたびれた帽子。

ぶっきらぼうな顔。

そして肩には、あの水色のタオル。

 

タダシはその姿を見て、少しだけ笑った。

 

昨日の夜以来だ。

「おっちゃん。」

「なんだ。」

「昨日の飯、ありがとう。」

男は答えない。

 

「かしわにぎり、めっちゃうまかった。」

「…………。」

「ほんと、ありがとう。」

タダシが頭を下げる。

 

 

すると男は、

「おい。」

「ん?」

「昨日の飯。」

「うん。」

男はタダシを指差した。

「タダで食えたと思うなよ?」

「…………え?」

 

 

タダシの顔が固まった。

 

「えっ!?」

昨日、あんなに感動して泣いたというのに。

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「かしわにぎりのことか!?」

「ほかに何がある。」

「いや、昨日ありがとうございましたって今——」

「飯食わせたんだから。」

男は言った。

「働け。」

「…………。」

タダシは目をぱちぱちさせた。

「……働く?」

「そうだ。」

「何を?」

男は答えなかった。

 

 

自転車にまたがった。

 

「ちょ、ちょっと待って。」

男がペダルを踏む。

 

 

「え!?どこ行くんだよ!」

そのまま走り出した。

「おい!!」

男が振り返る。

「何してんだ!」

「何って……。」

「来い!」

「どこに!?」

「いいから来い!」

タダシは慌てて段ボール箱を抱えた。

「待って!荷物!」

自転車はどんどん遠ざかっていく。

そして男が叫んだ。

 

「走れ!」

「はぁ!?」

タダシも走り出した。

 

段ボール箱を抱えたまま。

「ちょっ……待って!」

男は待たない。

「早いって!!」

「それでもついて来い!」

「自転車だろーが!!」

「男の意地だ!」

「またそれかよ!!」

タダシは必死に走った。

「待ってーっ!!」

公園を抜ける。

住宅街を抜ける。

角を曲がる。

男の自転車を見失わないように、タダシは走り続けた。

 

「おっちゃん!!」

「なんだ!」

「自転車でずるいってぇ!!」

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男は振り返らない。

けれど——

少しだけ笑っているように見えた。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

タダシは知る由もなかった。

 

これから連れて行かれる場所が、

仕事場になり、

飯を食う場所になり、

眠る場所になり、

いつか自分が、

「うち」

と呼ぶようになる場所だということを。

 

しばらく走ると、古びた商店の並ぶ通りが見えてきた。

 

男が一軒の店の前で自転車を止める。

「はぁ……やっと……。」

息を切らしたタダシが顔を上げた。

古い看板があった。

 

そこには——

『みなと釣具店』

と書かれていた。

タダシは店を見る。

 

そして、男を見る。

「…………釣具屋?」

 

男は何も答えず、店の中から一本の釣竿を持ってきた。

 

ぽんっ。

タダシの胸に押しつける。

「……え?」

「昨日、飯食ったな。」

「食ったけど。」

男は海の方を指差した。

そして言った。

「今度は俺の晩飯、釣れ。」

「…………。」

タダシは釣竿を見る。

男を見る。

もう一度、釣竿を見る。

「……それが仕事?」

「そうだ。」

「…………。」

タダシの口元が、

少しずつ上がった。

 

釣りなら——

話は別だった。

 

 

――第四話 終

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